心理カウンセリング序説(5)クライアントとセラピストの「かかわり」

 
 
第5回は車を運転しながら聴いていました。なのでぎゅっと特徴的なエピソードが残っています。
 
Aくんはラグビー部にスカウトされたほどの大柄でがっしりした体格と、それに似合わない自信のない、ちいさな声の持ち主でした。このままでは苦労するぞと先輩に心配され、カウンセリングにやってきました。
 
 お母さんのすすめでピアノをはじめて感じに弾けるようになり、将来はピアニストだと夢をもっていたのに、「そんな現実的でない夢なんてダメだ」と父親に全否定されます。またあるときは学校の課題で数日かけて彫刻をしたら賞をもらえて自分には彫刻が向いているーとうれしくなったのにこれもまた全否定。
 
 そのお母さんがある日自殺してしまいます。のこされたのは厳しい父と男兄弟。父は非常に力の強い人で首根っこを掴まれると、ああもうだめだ、かなわない、と諦めるようになってしまった。お母さんの自殺も受けとめられず、現実と自分が乖離している感覚がもうずっと続いている・・・という事でした。
 
 ピアノと彫刻が大好きだったけど、「現実的ではない」と否定され、その後ショッキングな出来事が続いて、自分と現実が離ればなれになってしまった・・・というA君にいつのまにか自分自身のトラウマを重ねていました。
 
 そのA君がカウンセリングを重ねるにしたがって、次第に自分自身を取り戻して行くので、なんだか自分自身もするりと痛みが脱げたような感じがして、以来、気持ちがすこし軽くなったような実感があります。
 
心って不思議ですね。
 
 Aくんのカウンセリングは朝一番の誰もいない静かな時間に行われました。二人だけの安心できる「器」の中で少しずつ自分を見つめていったわけです。ある日たまたま早くでてきた男性職員に「おはよう」と声をかけられます。その直後のカウンセリングでは、数ヶ月かけてようやく自信がもててきたのに、まったく初回同様弱々しく、帰ってから自分と現実が離ればなれになる感覚がより強くなり、日常生活も困難なほどになってしまいます。
 その後のカウンセリングで「もしかして、男性職員に声をかけられたから?」との語りかけに「そうかもしれません」と答え、そこから父親とのかかわりが語られていきます。語り終わったとき、自分と現実が自然に一致し、その後、離人感に悩まされる事はなくなり、自信のある日常をとりもどしていきます。
 
語るー聴くー受けとめる。
器と、その破壊。そこからの再生と
カウンセリングの道筋が語られた回でした。
 
教科書では構造とそのほころびとして書かれています。
 
面白いのが遅刻をやめられないクライアントの話。
実家にいたときに、だんだん大人になって母親に甘えられなくなっていく。
でも寝坊をして怒られながら起きる時、母親の関心を引きつけることができていた。
だから遅刻をやめられないし、セラピストに対しても現れるというケースでした。
 
このクライアントは対人関係に緊張や不安があったのですが
カウンセリングの中でその構造に目を向けることができるようになったとき
自然に緊張感がやわらぎ、遅刻もしなくなっていったそうです。
 
情緒的アヴェイラビリティ
という言い方をしていました。赤ちゃんに対して大人がまるで言葉が通じるかのように語りかける。
今すぐには分からなくても、その積み重ねが言葉の発達をうながして、自分の心身の状態に名前がついていく。
そのように、今直ぐに明確な反応がなくても、すこしずつの積み重ねで反応をとらえていく。
いつでも情緒的に応じる準備態勢にあるんだよ、という状態の事をいうそうです。
 
オーセンシティ
自分の言葉や要求をわきによせて、クライアントの心にいどむ姿勢。自分自身を総動員してクライアントの心に限りなく近づこうとする姿勢。
 
こうした相互交流がもたらすものについて、かたられていました。