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心理カウンセリング序説(4)出会いと見立て

4回目の先生はまさにカウンセラーという、やさしい感じの女の人でした。
事例では親につれてこられた19才の女の子が、「カウンセリングが必要なのは母ですから」と
背中を向けのですが、そこで「いまはそっとしておきたい気分なんですね」と問いかけると
これまで何の反応も示さなかったクライアントが小さくこくんとうなずいた・・・というシーンがあります。
 
その語りのあまりのやわらかさに、何かほろりとしてしまいました。
 
今回のテーマは出会いと見立てという事です。
まずはどのようにしてクライアントがカウンセラーのところへやってくるのか。
誰かの紹介でやってくる人は安心するかもしれないけれど、秘密が守られるか不安になるかもしれない。
ネットを見てくる人もありますし、本や講演でその人を知ってやってくる場合もあります。
まな板の鯉よろしく何でも受け入れられるかも知れないけれど、カウンセラーに過度の期待をしているこかもしれない。
ともかく、どんな経緯でやってきたかを良く知り、出会いの前にどれだけ心を砕いて準備するかが大切だということでした。
 
そうして出会ったクライアントがどんな悩みを抱えているか、それはどんな構造の中で起きているかの仮説をたてていきます。このクライアントの悩みを自分が引き受けられるかどうかを判断します。自分には難しそうな場合は、なるべく早く他の関係機関に依頼をします。
 
見立てについて大まかな判断の基準です。
 
①苦しいながらも、内的な葛藤・不安を自分の中に抱え、現実逃避の著しい低下も認められず、自分で来談することも可能な神経症水準。
②激しい常道をめぐるコントロールがうまくいかず、場合によっては自傷行為も認められ、クライアント自身も周囲も現実生活をこのまま続けるのがかなり困難な状態にあるボーダーライン水準(境界例水準ともいう)
③現実感を完全に失って、幻覚や妄想に心が奪われている精神病水準。
④器質的な理由による発達ないし知的能力の障がい。
 
①とか②でも十分しんどいのに、③や④もありうるのか・・・
 
こうした悩みを抱えたクライアントに対して、どのくらいコンタクトをもてるか、言葉だけではなく、心と心の響き合いをどのくらい持てるかということも「見立て」における重要なポイント、なのだそうです。
 
理論の上に立っているように見えるのですが、ラジオを聴いているととらえどころのない世界をふわふわとんでいる魔法使いのように聞こえてきます。不思議!
 
そしてこちらが「見立て」ているとき相手もまたこちらを「見立て」いる、自分の事をわかってくれるだろうか、秘密は守られるだろうか、信頼に値するだうかと見返されているわけです。
 
その「見立て」に双方納得いって、ようやく「契約」となります。どんな形で面接をするか、どんな目標をもつかをきめていきます。
 
面白いのが、森先生がいつも最初に伝えるという2つのルールです。
 
①「自由に思い浮かんだ事を話してください」
②「けれども思った事は行動にうつさないでください」
 
たとえば、今日はもう帰りたいとか、今すぐ死んでしまいたい、とか
何でも思ったように話してもらうけれど、そのことを行動に移さないという約束です。
 
これが衝撃だったのは、私自身が
 
言った事とやった事を一致しているほうがカッコいい
言った事をやらないなんてカッコわるい
 
こんな価値観を持っていることに気がついてしまったことです。
確かに深く悩んで、死んでしまいたいと思ったときに、その事を誰にも相談できなかったのは
そういう倫理観が私をしばっていたんだなぁと思いました。
 
後半、B君の事例では、ガチムチの体なのに自信がなくて小さい声で・・・人を傷つけたくない
けれどラグビーが大好きで、自分の中の衝動と向かい合うのが怖いということでした。
 
カウンセリングの技術を学ぶための授業ですが、辛く苦しい状態から抜け出していく物語を聴くうちに自分自身も癒されていくような感覚を覚えています。