心理カウンセリング序説(3)カウンセリングの「器」

カウンセリングの「器」
 
三回目は、テキストの著者、香川克先生と主任講師の大場登先生の対談でした。
前回の授業で安心安全場で,秘密が守られるという信頼関係が築けてはじめてカウンセリングが始まるという話がありました。
器の話で面白かったのが、最近の学生たちは自由とは安全な範囲の中で得られるものだと思っているということ。
最近の学生はずいぶん窮屈ですねと語られていました。鳥かごの中の自由というやつですね。切ないなぁ。
 
器には様々なバリエーションがあります。
事例として、スクールカウンセリングの現場で子ども達と鬼ごっこをすることが「器」になることが語られていました。
どの位追っかけるのか、どの位おっかけられるのかというゲームの中での一瞬の関わり。それがもっとも関係性が築けた「器」であったといいます。
 
週一回、一時間の関わりの中で、自分を見つめて行く度に、自分自身が治癒していくだけではなく、周りの家族や仕事の関係性までも治癒していくというエピソードが興味深かったです。
 
テキストの中でカウンセリングに料金を支払う事で、安心・安全の場への入場料を支払ったと意識が変化し、カウンセリングの質が変わるという例がありました。日常から離れた特殊な<面接の場>であるという意識が、自由な内面への旅を可能にするという事でした。
 
そう考えると、「自由」とは自分自身を思うがままに発露し、なおかつ他者に受けとめてもらえる範囲という事になるのでしょうか。だとすると心の強さや柔らかさがその人の自由の範囲を規定していて、傷ついた人にはまず安全な暖かい場所を、回復にしたがってだんだん外へ外へと広げて行く・・・というイメージを持ちました。
 
クライエントが自由に心の世界を旅するのに必要なものはなにかという考え方からは、必ずしも静かな部屋や決まった時間がいるという訳ではなく、それに必要な「器」をその都度ともに作り上げていく意識が必要なんだよ、という事でした。