心理カウンセリング序説(1)セラピストと「聴く」ことー「受け止める」こと

放送大学の心理カウンセリング序説を聞いています。
震災の調査に携わった関係で悲惨な目にあった人に沢山あいました。
 
その中には、悲惨な目にあいながらも受け止められる人がいました。
どうやってこの人達は辛い出来事を人生の肥やしにしたんだろう。
 
何か一定の法則があるように思える。
 
その方法が分かれば、辛いまま抱えている人達の役に立てる。
何より自分自身も重荷になっている出来事を軽くしたい。
 
そう思っています。
 
さて、第一回はセラピストと「聴く」ことー「受け止める」ことです。
 
人はなぜか「聴く」ことー「受け止める」事で自己治癒のプロセスが動き出すのだそうです。
それがなぜか・・・は謎です。この本でも「不思議と」としか語られていませんが
ともかく、他者によって「受け止められた」と心身で感じられたときに
その関係性の中から不思議にも変容のプロセス・自己治癒のプロセスが動き出すのだそうです。
 
震災後の統計でもこのことはでていて、
阪神大震災から20年後のアンケートで震災の事を語った人と、語れなかった人で
明らかに心の健康状態に差がでていました。
 
だから、「聴く」
 
でも、この「聴く」が難しい。
悩んでいる人の話を聴き始めると、延々とループしたり、
とんでもない事を言ったり、いらいらする事を言ったりします。
そんな時に、適当なところで話を「切り上げて」しまうのが人間の本能だといいます。
 
わかるなぁ・・・
 
それを何とか「聴いて」本人すらも逃げたくなる事柄と
共に正面から「見つめて」いくのがカウンセラーの役割だといいます。
 
こ、こ、これは難しい!!!
 
例えば世間体の悪い悩みがあって、でもそれを言いたくなくて相談を始めたはいいけれど
グズグズしながらループして・・・なんて事はありそうですよね。
本人も自分では認めたくないから中々言い出せない・・・
だけどその問題と向き合わないとまた繰り返してしまう。
 
話を聴いて受け止めてもらえると、自分自身で問題を見る勇気が少しわいてくる。
少しずつ問題を見つめる事ができるようになると、どうしたらいいか考える事ができてくる。
考える事ができると、少しずつ行動できるようになってくる・・・。
 
問題はその事を話せる相手がいるかどうか。
 
人の心には、確実に現在の世の中で否定されている事が存在しています。
 
公序良俗に反する事や,暴力や破壊、父と母、性とエロス、誕生、生老病死
嫉妬、甘え、汚れ、葛藤、残虐性、家系、マイノリティ、強さ・弱さ、その他、無数
 
言ってはいけない、やってはいけない、知られてはいけない
格好悪い、世間体の悪い事が存在しています。
 
問題の本質がそこにあるとしたら、見なければ解決しません。
でも、それはいけない事だと思い込んでいたら、どうでしょう。
 
私にも悩みを話せなかった事がありました。
相談に乗るよと言ってくれた人を前にして、
悩みの内容を他に言われてしまうのではないかと不安になって話せませんでした。
その悩みはずっと長く続きました。
 
なので、一つの話を聴く装置として、安心できる場所と時間、
秘密を守り、決して否定せず、受け止めてくれる約束が必要なのだと思いました。
 
話を聴き、クライエントの悩みを受け止め、扱いの難しい事象を見つめて
自己治癒のプロセスを発動させることを、この授業では「産婆」に例えていました。
ひとりで生むのは難しいけれど、産婆さんの助けがあれば、安心していきむことができる。
セラピストにできるのは励ましたり、処置をすることであって生むのはクライエント自身であるという事でした。
 
カウンセラーの「聴く」について、少し腑におちた回でした。